De Halve Maan醸造所について

現在のDe Halve Maan醸造所は、1856年、初代ヘンドリック(現社長のザビエルの母方のマース一族のレオン・マース氏、通称ヘンドリック。)がブルージュのワル広場(Walplein)にあった醸造所を買い取り、De Halve Maan醸造所と命名して操業した。(『ドゥ・ハルヴ・マーン』とはベルギー・オランダ語で、「半月」の意。)ワル広場には、古くは1564年(約450年前。日本の室町時代)から醸造所があったということがブルージュ市の台帳に記されており、ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所の前身もその一つである。
1867年に、その息子二代目ヘンドリックとアヘルの二人の兄弟が醸造所を引き継ぎ、二代目ヘンドリックは、産業革命のさなか、最新のビール造りの技術を学びにイギリスに渡り、スタウトやペールエールのような英国スタイルのエールビール(常温上面発酵のビール)をブルージュへともたらした。その結果、設備規模も拡大の一途をたどる。この兄弟は、1905年に若くして亡くなったが、未亡人たちが事業を引き継ぎ、第一次世界大戦の困難な時期を乗り切った。

<初代~3代目のヘンドリック>

<初代~3代目のヘンドリック>

パスツール(ルイ・パスツール。生化学者・細菌学者。1822-1895年。フランス。)のさまざまな発見以降、菌の管理ができるようになると、日本でもおなじみの、ラガービール(低温下面発酵の短期量産型ビール)がビールの世界を凌駕する。1919年、三代目ヘンドリックが事業を継承すると、その当時ビール造りが最も進んでいたドイツにラガービール造りを学びに出かけ、1928年には、設備投資して下面発酵ビールに切り替え、またBockビール(強めのアルコールが特徴の、季節限定などの特別なビール)を醸造することで大成功を収める。1930年代に、馬車による顧客への宅配と、ソフトドリンクの扱いでも成功した。

<4代目 ヘンドリック>

<4代目 ヘンドリック>

第二次世界大戦後の1946年に、隣にあった醸造所も買収して事業拡張。4代目ヘンドリックは、50年代から家業を手伝い始め、その頃、テーブルビール(アルコール度数の低い、ほとんど飲料水のような家族全員の飲み物)とソフトドリンクの販売が好調で、馬車(後にはトラック)による宅配事業の範囲も拡大し、西フランダース全体に広がっていった。
しかし、70年代に入ると、人々の生活スタイルが劇変。自家用車の普及と大規模小売店の躍進により、宅配の需要はなくなり、価格競争で大手の醸造所に負けていった。1981年、四代目ヘンドリックとその娘のベロニク(ザビエルの母親)は、ブルージュに聖アルノルド像(ビール醸造業者の守護聖人)が建てられたのを記念して新しいビールを発表。当時の他のビールよりもアルコールの強いビールであったこともかけて、「Straffe Hendrik」(強いヘンドリック)と命名された。

80年代以降、環境保護・旧市街保存などの意識が高まり、ブルージュのお堀の内側への大型車の乗り入れ規制や製造業を締め出そうとの圧力が強まり、ワル広場での醸造は徐々に下火になっていった。そんな状況の中、1988年にドゥ・ハルヴ・マーン醸造所と「Straffe Hendrik」の商標は他社に売却される。その後、ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所を購入した企業は経営難に陥り、醸造部門を売却したことから、とうとう、2002年、醸造所は操業を一時停止することとなった。(しかし、「Straffe Hendrik」という商標とレシピは、別の醸造所に引き継がれ、継続して造られた。)

<5代目 ヴェロニク・ヴァネスタ氏>

<5代目 ヴェロニク・ヴァネスタ氏>

<現・経営者 6代目 ザビエル・ヴァネスタ氏>

<現・経営者 6代目 ザビエル・ヴァネスタ氏>

2005年、ベロニクの息子ザビエル・ヴァネスタ氏(現社長、六代目にあたる。)が、3年間醸造停止していたブルージュ・ワル広場の醸造所を買い戻し、ブルージュ市の観光復興の後押しも得て、ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所として、商標「Brugse Zot ブルッグス ゾット」で再興し、醸造を再開。この「Brugse Zot」がビール業界で高い評価を得、これまでに幾つもの国際的なビール品評会などで賞を獲得。(World Beer Cup 2006及び2008年の'Belgian and French Style Ale'カテゴリーでのゴールドメダル受賞等)2008年には「Straffe Hendrik」の商標を買い戻し、これも幾つもの賞を獲得している。

現在の経営者ザビエルは新世代の経営者らしく、輸出主導で成長し、生産量の半分以上は、ヨーロッパ周辺国はもちろんのこと、アメリカなど海外市場に輸出されている。彼は、フランダース国際若手リーダーおよび起業家商工会議所(JCI Vlaanderen(Junior Chamber International Flanders Federeation of Young Leaders and Entrepreneurs))より、「2008年フランダースを代表する若手起業家(Young Flemish Entrepreneur 2008)に選ばれ、設備を拡大させている。

<昔と今の設備が共存する醸造所内>
<昔と今の設備が共存する醸造所内>

<昔と今の設備が共存する醸造所内>

ワル広場の醸造業の最盛期には、ブルージュのお堀(城壁)の内側には、32の醸造所があったとされているが、今ではブルージュで唯一の醸造所である、ドゥ・ハルヴ・マーン。

<歴史を守り、受け継いできた4代目から現社長の3人>

<歴史を守り、受け継いできた4代目から現社長の3人>

ドゥ・ハルヴ・マーン醸造所には、カフェが併設され、観光客や地元の人々でいつもにぎわっている。醸造所内の見学ツアーもあり、ブルージュで唯一醸造されているビールが楽しめる。

<醸造所の外観と併設されているカフェの入り口>
<醸造所の外観と併設されているカフェの入り口>

<醸造所の外観と併設されているカフェの入り口>

◀コンセプトページへ戻る ◀トップページへ戻る